北九いいと:北九州市と市内メーカーによる「北九州らしさ」をテーマにした食のブランド

 金平糖 de おめでとう


小さな金平糖に込められた、職人の想いと丁寧な時間の積み重ね

 昭和9年、八幡市帆柱(現在の八幡東区)にて飴・和菓子の製造会社として入江製菓はスタートしました。本社工場はその後、現在の八幡西区陣原に移転。 現在は4代目となる入江俊男社長を中心に約50人の従業員が飴やキャンディーの製造と販売を行っています。
 入江製菓が金平糖づくりに着手したのは、昭和20年頃。当時の北九州市は産業と工業の街として大きく発展している時代でした。
 北九いいとの商品開発に当たり、入江社長は「形が面白く、色がキレイであっても材料は純度の高い砂糖。それを職人が14日間の時間を丁寧に積み重ねて製品へと仕上げていく工程には生真面目さと遊び心が共存しているような気がして、北九州らしいと感じた」という理由で金平糖を選んだそうです。
 開発された商品は、お菓子で笑顔や幸せを、という企業理念にあわせ「金平糖deおめでとう」と名付けられ、黒糖に金箔、そして心愛と書いてココアの3つの味が用意されました。
 ギフトなどの贈り物だけでなく、普段使いの品として大切な友人や家族との語らいの時間にそっと優しい甘さを添える金平糖。ゆったりとした甘いひとときをどうぞ。

 
金平糖作りはシンプルな作業ですが、日々の気温、湿度に左右されるデリケートな仕事。約100度に熱した大きな窯を使い、職人の勘と熟練した経験の下、窯の回転する早さや傾き、糖蜜の吹き付け方や混ぜ方を常に変化させながら、1日8時間ほどの作業を14日間続けることで完成します。核の大きさは0.8mm。それが生成後には約1.5cmになります。機械化が難しく、人の手で時間をかけてコツコツと作られる金平糖。工場は日本国内にも数えるほどしかありません。

金平糖の角は二週間かけて、溶かして、
固めてを繰り返すことで出来る時間の結晶

金平糖は永禄12年(1569年)にポルトガルの宣教師ルイス=フロイスが織田信長に献上したことから広まったという説があり、ポルトガル語で「砂糖菓子」を表すconfeito(コンフェイト)が転じて「こんぺいとう」という名前になったといわれています。金平糖の特徴的な角は、窯を転がしながら、溶かした砂糖(糖蜜)を吹きかけていく時、焼けた窯の表面に触れた糖蜜が、その部分から固まりはじめ、少しずつ凸凹状の角(つの)が形作られていくものであるため、一つとして同じものがありません。入江製菓では、人の手で丁寧に丁寧にものづくりを行っています。


入江製菓株式会社
〒807-0821 福岡県北九州市八幡西区陣原2丁目8-10
TEL. 093-621-2835

石炭と製鐵景気で沸いていた昭和初期の北九州市では、作業現場で働く人たちが働きながら口に出来る嗜好品として、また子ども達のおやつとして飴菓子が好まれたといいます。当時はチャイナマーブルやまめ玉、にっけ飴など、最近では「懐かしい」と言われるような商品が人気だったそうです。入江製菓では昔と変わらぬ製法を大切に日々、飴を作り続けています。